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2023年8月に樹木葬墓地ができました。
自然の杜に包まれた樹木葬
メモリアル フォレスト
Memorial Foresut 静居寺
◆宗旨・宗派問わず
どなたでもご利用いただけます。
◆年間管理料不要
◆見学・ご相談 随時受付中、
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静居寺の歴史
静居寺は賢仲の後大樹宗光、琴峰寿泉、更に随天宗順と受け継がれます。二世は明応五年(1496年)に小笠郡大須賀町に 竜眠寺を開いて、師の賢仲を開山に勧請し住職していたが、のち賢仲から静居寺を譲られました。そして竜眠寺のほかに、小笠町に永正十四年(1517年)昌桂寺(今の正林寺)を開き天文十九年(1550年)12月2日、81才で没します。静居寺三世琴峰寿泉は大樹の弟子で、昌桂寺二世から静居寺の席を嗣ぎ、弟弟子随天宗順に伝えて行きます。随天は明応三年(1494年)金谷町に生まれ、10才の時に静居寺に入り賢仲の弟子となりました。賢仲没後の永正十三年(1516年)兄弟子の大樹の法を嗣ぎ、後に住職となりました。
随天が住職の時、この地方が武田信玄に攻められ、静居寺は天台宗智満寺の支配下に入るか、または取り潰しの命令が下りました。この事を恨みに思った随天は、伊太の豪士であった三浦三四郎為明、佐野源左衛門則方、浅原四郎左衛門安近らと謀って、徳川家康を味方にするために浜松城に向かいました。しかし、密告する者があり小夜の中山を下った日坂において武田の追手の者に三浦三四郎と共に捕らえられ甲州に引かれていき惨殺されてしまいました。このため静居寺は閉門となり、すでに琴峰寿泉の弟子であった鉄叟棲鈍は静岡市国吉田の桃原寺に住職していましたが、阿知ケ谷に香橘寺を建て静居寺の寺務を執り行いました。これにより鉄叟棲鈍の努力の結果と時代の流れにより武田氏が滅び、徳川家康に仕え島田代官となった浅原四郎左衛門<元和二年(1616年)没、大沢院殿荷叟浄円居士>の援助により再興されるまで静居寺は衰退の憂き目にあいました。
